考察

サッカーの概念を用いて、あらゆる社会的事象を分析・認識しようとする試み

24   あるPK失敗者の告白

2012年の親父カップで、大倉山フットボール倶楽部は、3連覇を果たした。
決勝 対戦相手 都筑シニアSC
• 日産スタジアム 0対0 
• 前半出場 長谷川 泉谷 庭野 山口 小野 水木 石原 四元
• 後半出場 長谷川 大久保 庭野 高藤 飯島 赤羽 石原 レイ
後半の布陣は、水木が、親父カップ参加が決まってから熟慮を重ね決めたもの。きっとPK戦となる、水木はそう予想して後半のメンバーを選び出した。
そして、PK戦になった。
小学生用のゴールながら、シュートレンジは長く取られ、難易度は高い。バッカスのGK長谷川が止め続ける中、バッカスでは5人目飯島が決め、優勝が決まった。
ここに4人目に蹴ってPKを外した選手がいた。
昨年の決勝PK戦でも外し、1年間をPKのために練習を積み重ねてきた選手だった。その、言い訳とも心理分析ともいえる呟きだ。


バッカスには、倶楽部内倶楽部、PKB48がある。
この倶楽部内倶楽部は、入会審査がとても厳しい。石川、大久保がともに正会員となり、赤羽、山口、水木が見習い会員となっていた。
一度国際試合でPKを外すという経歴がなければ入会審査はとおらなかった。
そして、PK失敗という大きな人生経験が人間を一回り大きくしている、という誇りを常に口にして悔しさを紛らわせていた。
この試合を指揮する水木は、このPKB48倶楽部の最新の入会者だった。
PKを絶対に蹴りたくない、それがこの決勝戦にあたってのモットーだった。
その苦労を、他のPKB48メンバーも熟知していたところから、この物語は始まる。


この日、2012年親父カップの決勝は、0対0のまま終了し、PK戦になった。
後半の8分過ぎ頃、0対0のまま推移したこの試合では、両チームとも得点機をなかなか掴めず、PK戦が濃厚となってきた。 
そうしたとき、中盤でPKB48メンバーの正会員と見習い会員が交錯し、見習いメンバーの方が左脇腹を負傷した。 
その直後の状況である。 

負傷した見習いメンバーには、ベンチから駿介が「大丈夫ですか、替わりませんか」という交代を促す優しい声が届いた。
しかし、いま負傷を理由に交代を申し出れば、自分のポジション(ボランチ)には、間違い無くPKB48の見習いメンバー水木が入ることは必然だった。もし交代すれば、この決勝戦のメンバー表を練り続けた水木の人生設計は台無しだ。
一度膝を折って芝生に膝をついた。そして、一瞬で考え尽くすと、この選手は、駿介のアドバイスを無視することに決め、ピッチに立ち続けた。
その後に起きたことで覚えているのは、この勇気ある決断のせいで、飯島というヒーローを生んだことだ。
だから、この判断に間違いは無かったと、いまは思うようにしている。
とりあえず、現時点では。
 
(2012.11.4)
 
  • O60
  • 13塩見
  • 10 四元
  • 61倉田
  • 14石原
  • 09飯島
  • 17石川
  • 02赤羽
  • 15レイ
  • 07山口
  • 18小野
  • 21泉谷
  • 08水木
  • 55太田
  • 11大久保
  • 22本多
  • 20庭野

  • O50
  • 24西脇
  • 49仁科
  • 28小田切
  • 30田口
  • 39青木
  • 42千葉
  • 06大弓
  • 36中田
  • 32松田
  • 26宮前
  • 51浅川
  • 33市川
  • 29堀田
  • 44友利
  • 38ミキ
  • 45鈴木
  • 25森田

  • 040
  • 50遠藤
  • 48後藤
  • 31栗子
  • 34森
  • 16三上
  • 37苅谷
  • 40桝井
  • 23若井田
  • 35自然

  • U40
  • 19駿介
  • 69山階

  • レジェンド
  • 総監督
  • 大川
  • TD
  • 武田
  • 大木
  • 手島
  • 藤田
  • 古村