

69 バッカス走る・霞ヶ浦マラソン記
日時:4月19日
参加者:武田 赤羽 山口 庭野 西脇
応援:石原 鈴木 レイ 小野
黎明編
晴天の新横浜運動公園において、港北区民マラソン大会が開催された。
午前10時スタートの壮年の部の一斉スタートは、普段遊んでいるサッカー場の周り(1周1キロ)を周回するもので、第2レストハウス付近は、応援の家族連れとバッカスで賑わっていた。
参加者
- • 代表選手 武田 庭野 西脇
- • 応援 バッカス走ろう会会長:藤田
- • バッカス走ろう会監督:山口
壮年5キロの部 大会記録
- • 武田5番 23分50秒(バッカス50歳代新記録)マラソン推定時間 3時間21分台
- • 庭野20番 22分35秒(バッカス40歳代新記録)マラソン推定時間 3時間10分台
- ・西脇24番 26分13秒(自己新)マラソン推定時間 3時間41分代
自己解説
庭野
• 赤羽さん、藤田さん、山口さん、港北区民マラソン大会の応援ありがとうございました。声援があると頑張れるものですね。11番が、何度もPKに挑む気持ちが少し理解できました。さて、どなたか一緒にフルマラソンに挑戦してみませんか。HPで検索したところ、4月19日に「かすみがうらマラソン」が予定されており、それに参加するつもりです。5番、24番をはじめ、一緒に挑戦する方を募集しますので是非ご検討ください。
武田の番外編
• 文字どおり、己の限界を思い知らされ続けた5キロでした。しかし、野太い声援に背中を押されて、3走者ともに目標をクリアでき、考えていた言い訳も出番がありませんでした。藤田さん、赤羽さん、山口さん。声援、ありがとうございました。次は、バッカスで駅伝大会に参加しませんか?みんなで走ると、楽しいと思いますよ。
西脇
• 昨日は、バッカスらんなーずの応援に来て頂きありがとうございました。皆さんの応援のおかげで参加者は、皆ベストを尽くし怪我もなく完走できました。妻は、「走りが重い」、次女は「遅すぎてみえなかった」と間違った日本語で私の走りを表現しています。次回は、もう少しかっこよく走りたいと思います。
思いつき編
フルマラソン挑戦者募集 2009/02/10(Tue) 投稿者:20番
- • 赤羽さん、藤田さん、山口さん、港北区民マラソン大会の応援ありがとうございました。声援があると頑張れるものですね。11番が、何度もPKに挑む気持ちが少し理解できました。さて、どなたか一緒にフルマラソンに挑戦してみませんか。HPで検索したところ、4月19日に「かすみがうらマラソン」が予定されており、それに参加するつもりです。5番、24番をはじめ、一緒に挑戦する方を募集しますので是非ご検討ください。
フルマラソン挑戦 2009/02/11(Wed) 投稿者:24番
- • 4月19日の「かすみがうらマラソン」に申し込みました。もちろんフルマラソンです。スポーツエントリーのHPから会員登録を行うとイベントの申し込みができます。締め切りは2月23日です。皆さんも気軽に参加してみましょう。
フルマラソン挑戦3 2009/02/14(Sat) 投稿者:2番
- • 4月19日の「かすみがうらマラソン」に申し込みました。もちろんフルマラソンです。「いつか、ハーフマラソンに出てみたい」、という夢がありましたので、その前にフルマラソンを走ってみようと思います。華麗なクロスボールでアシストを決めたいという夢を実現するために、とりあえず公式試合でハットトリックを決めておこうという作戦です。本当は、「気軽に参加した」24番の伴走が目的です。だれか、10キロ程度でよいのですが、ペースメーカーをしてくれませんか。まだ、申し込みは間に合います。
あれ? 2009/02/14(Sat) 投稿者:5番
- • かすみがうらマラソン。密かに申し込んで、みんなに宣伝しようと思っていたら・・・・何と、24番も2番も、気軽にエントリーしていたのですね。やられた・・・・
結果編
バッカス ランナーズ山口、武田、庭野、西脇、赤羽の5名は、4月19日、かすみがうらマラソンに参加した。
出場登録の際には、所属チーム名の記入が必要となる。
ランナーズの面々の所属は、もちろん「大倉山フットボール」だった。
2ヶ月前の練習
一人で走る寂しさを避けるため、数名集まっては土日に長距離練習を繰り返した。バッカスの冬期練習が不規則だったこともあり、土日には格好の練習時間を見つけることが出来た。
一度は藤田さんの伴走で、世間話に花を咲かせたこともあった。始めの頃、太尾新道でランニング中の赤羽が9番飯島と擦れ違ったことが原因で、すぐに練習を切り上げざるをえなくなったこともあった。飯島の前で格好を付けスピードを上げすぎたのが原因だった。
仕事をしている間も、ランナーズコーチの山口から、メールで、必要な情報が送られてきた。そして、食事と睡眠も必要な練習の一部だった。さらに、走るための道具に凝ることも中年に許されている大切な楽しみだった。
マラソンを思い立ってからの2ヶ月間、日々健康管理にうつつを抜かし、風邪を引いた人の側には座らず、食事では油ものを避け、膝と腰と足首を労りながら歩いていた。もちろん、「これだけの集中力をもっと他のことに使えば、得点王だって狙えるはずだ」、とまでは思ったはずはない。
体調を維持してマラソンのスタートラインに立てること、この目的に集中して2ヶ月間が経過した。そして、メンバーの一人西脇は、この集中力を長距離と短距離と両方に使っていたことが後日判明した。誰かが言った。夜は短距離王。
4月19日朝
朝6時30分に大倉山集合の予定だった。
車内では、銘々が食事を始める中、ゼッケンを確認した。赤羽と武田のゼッケンが偶然連番であることが判明した。いや、偶然と思うのは単に必然の意味に気付かない言い訳に過ぎない。二人の着衣も類似していた。
各自のゼッケン番号は
西脇 8352(本人は、あくまで24番と言い張っていたが)
庭野 8720
山口 9810
武田 10136
赤羽 10137
の順だった。庭野と西脇のウェアは、バッカスオレンジ、その表側に、胸の「BACCHUS」の文字が隠れないようにゼッケンを付けていた。しかも庭野は、サッカーのハイソックスの替わりに黒いハイレグをつけ、ヘディングをしない安心感からサングラスも着用し、道路の上でも危ない人を演出していた。
車内では、山口のマラソン用必需品がユンケルであることが明かされた。マラソン8回目の強者は、勝負パンツの代わりに勝負ユンケルを飲むらしい。
現地の陸上競技場
土浦にある川口運動公園陸上競技場に、9時過ぎ到着した。晴天だった。人の列が駅からグラウンドまで続いていた。
参加申請者は全競技で2万4480人(うち2万928人が出場)。フルマラソンの部は、10時スタートのため、バッカスの面々は、9時30分頃現地で一時解散し、その後で4時間30分目標のスタートラインに集まる予定だった。
しかし、西脇・武田・赤羽の3名は、トイレの順番待ちで後れを取り、現地で庭野・山口のグループとはぐれてしまった。マラソン初心者3人は、仕方なく、スタートの直前に期待していた山口コーチの訓辞拝聴を諦め、肩を寄せ合いスタート地点に動いた。まるで、バッカスの初試合の時の心境と一緒だった。
そして、そうしているうちに10時のスタートの号砲が鳴った。
目標タイムは
庭野 4時間以内(業界用語でサブ4)
赤羽・西脇 4時間30分以内
武田 5時間以内
だった。
武田は、練習期間中のど真ん中の2週間、所用で殆ど練習できない期間が生まれたため、目標をフジテレビ女子アナの東京マラソン記録(5時間1分)に勝つことに切り替えていた。西脇は、練習の30キロ走で赤羽を抜き去った自信から、その目標を、完走から赤羽の1歩前に置き換えていた。赤羽は、練習タイムを2回積分した計算結果として、どんな奇跡が起きても4時間は切れないと判断していた。ハイレグ庭野は、30キロ走の後で直ぐに10キロを走り抜け、練習の実績から確かな自信をつかんでいた。
スタートラインには
長蛇の列が出来ていた。庭野・山口は、3時間30分目標の位置に早めに陣取っていた。もちろん、赤羽・西脇・武田の3名は、その遙か後方の4時間30分グループ付近でうろうろするしかなかった。赤羽は、うろたえてポシェットからブドウ糖錠剤を5粒道路に落とし、直ぐに拾って口に入れた。
スタートラインで待つ気持ちは、ヤタガラス戦前の気分と似ている。「今日は相当タフな試合になるな〜、削られるな〜」、と思いながらも、「勝つ(完走)ことは大丈夫だろう」、そんな気分だ。
号砲が鳴ってから初心者3名がスタートラインまで移動できたときには、7分35秒が経過していた。号砲の鳴った10時現在で気温は17.7度、マラソンにはやや暑い天気だった。
2月の港北区マラソンでは、5キロの部に参加した武田は、いきなりダッシュした。しかも、この日の朝の挙動も極めて不自然だった。だから、スタートラインを超えた直後のダッシュ武田の動きが注目された。しかし、彼は動かなかった。ハートレイトモニター(心拍計)に目をやり、心拍数を確認しながらはしるという理数系のマラソンに徹し、3人の中で常に最後尾に位置し続けた。
前半10キロまで
庭野と山口は、17キロ付近まで併走し、トイレ休憩の際に別れたらしい。この日、庭野は3度のトイレ休憩が原因で4時間切りを断念した。また、3時間30分の記録を持つ山口は、4名のマラソン初挑戦を間近に見て激励するために参加したが、自分のための練習は殆どしていなかった。庭野と分かれてからは、目標をのどかな田園風景を満喫しながら走るマイペースマラソンに切り替えていた。
後者スタートの初心者3名は、3キロ付近で武田がマイペースを維持して別れ、さらに赤羽と西脇は10キロ付近で西脇が食事を取っているときにはぐれることとなった。
この区間では、2対1でリードした試合の最中の気分だった。逆転される緊張感は多少はあるが、「何とかなりそうだ」そんな気分で、大勢の観客の声援を楽しみながら走っていた。
7キロ付近では
バッカス応援団4名は、タクシーで7キロ付近に向かい、陸橋の上で待ち構えていた。突然声援が聞こえると、初心者3名は余裕を誇張するため、手を振りながら胸を張り、若干のスピードアップをした。得点後にベンチの声援に応えて手を振る感じだ。
サポーターの感想では、バッカスのオレンジのユニフォームは遠くからも目立つ、ということで、オレンジこそ、ランナーズ向きのユニフォームということが分かった。確かに、一緒に走っていても西脇のオレンジはよく目立った。西脇は、道路脇で声援を送る人を見つけるとハイタッチを繰り返し、マラソンを堪能していた。自在な動きをする西脇をマークする赤羽は、その頃何度もサイドステップを繰り返し、10キロまではサッカーの練習もしていた。
前半10キロから20キロ
折り返し地点までアップダウンは続いた。起伏、日差し、道路の凹凸、これらがとても重要な要素であることは走ってみて始めて分かることだった。
中盤にさしかかる前、どこかの大学の前を通過したのだろうか、大勢の学生の応援があった。背中から押されるような感じで、身体も自然と前に押し出された。また、子供が時々「頑張れ〜」と絶叫していた。全部自分に向けられたものと都合良く解釈し、すべてがエネルギーになった。
2.5キロ置きのオフィシャルの休憩所の他に、適当に私設のものも多数あり、飲み物や食べ物が用意されていた。ボランティアのお陰で、空腹や日射病を避けることが出来た。兎も角、この10キロから20キロの区間の試合経過は、1対1と緊迫していた。
後半20キロから30キロ
折り返しを過ぎると、遠くに霞ヶ浦を眺めることが出来、また、田植えを前にして水を張った田んぼの風景が続くようになった。民家の門の至る所で、老人が椅子に座り、ランナーを眺めていた。そして、こののどかな田園風景の中を、ぎっしりとしたランナーの行列は延々と続いていた。
気が付くと、試合は、いつの間にか、0対3に逆転されていた。小さななアップダウンは思いの他足をいじめていた。
あるとき赤羽は、ポシェットに入った錠剤を取り出そうとして在中物を全てを道路にばらまいてしまった。すぐに、このポシェットを作ったアディダスの悪口を言った。そして、このことをポシェットは覚えていたのだろう、ポシェットは28キロ付近でもまた在中物を全部ばらまいた。在中の錠剤、補助食、iPod が道路に置き去られようとした。大久保だって2度PK外せば3度目は決めるように、今度は悪態を止めることにした。そこで、拾った補助食を直ぐに食べ、iPod を着用した。でも、iPodのコードは絡まっていたので、PKは3度目も外したことになるかも知れない。
25キロ過ぎには、暑さから来る疲労感も増し、30キロに近づく時には、疲労困憊の状態だった。
30キロから40キロへ
この頃になると、歩く人の数の方が多くなり、沿道に座って休憩する人も見られるようになった。
疲労困憊から、何故マラソンなんかしているか一番自問自答を繰り返していたのは、この30キロ前後だった。農道の中を長い人の列が続いていたが、遙か先にまで続く人の列を見ると、モチベーションが落ちるのですぐ前の道路を見るようにしていた。試合経過は0対7の状態。
38キロ
バッカスの5名は、このレースの目的の一つが、38キロを乗り越えることで一致していた。
かつて本多が低血糖症でレースを断念したこの38キロを乗り越え、その瞬間を味わう、という目標を持つことが、後半の集中力を維持できた大きな要因だった。
この38キロを通過する頃は、身体が壊れそうな予感もあった。しかし、バッカスサポーターが待ち構えているはずの38キロ越えという確信もあって、歩くことなく足を動かした。
しかし、38キロには誰もいなかった。勿論、ガードレールの近くで休息する本多もいなかった。
しかし、この山場を通過できた喜びは大きかった。一つの目標は達成できた。完走できなくても、言い訳が出来た。だからこれからは、スピードを上げて目標タイムを目指すことにした。
38キロを過ぎてからは、足が動き出した。0対7から1得点しただけで、理由もなく接戦を戦っていると勘違いしたときのような気分だ。
正直に言えば、その頃、後ろから西脇、武田の魔の手が迫っているかも知れないと、少し考えた。二人の挙動を予測することは、スーパーコンピューターでも不可能だからだ。
競技場に入る直前の41キロ前後の交差点に近づくと、見たことのある人影が突然現れた。応援する3名が大声を上げて待ち構えていた。そこで、エネルギーを備蓄して、さらにゴールに向かった。トラップの僅かなミスを突かれて駿介にボールを奪われた後で、駿介を追い駈けるときくらいの気持ちはまだ残っていた。
ゴールへ
競技場に向かう道路と競技場の中には人垣が出来ていた。
両側の人の列を見ながら、何に感謝して良いの分からないまま、その中をストライドを伸ばし背筋を伸ばして、ゴールに向かった。周りのランナーも一斉にペースアップしていた。ゴールテープもなく、がらんとしたゴールを過ぎると、長い道はそこで途切れた。
この時の感動を、西脇に語って貰おう。
摩の38kmには魔物はいませんでしたが、そこから先が途方もなく長く感じました。ゴールした時は、感動し目頭が熱くなりましたがそれにまして煙草が吸いたくなり、そしてサッカーがやりたくなりました。
この日の、マラソン初心者の記録は
- 西脇 4時間44分59秒
- 武田 4時間56分28秒
- 赤羽 4時間31分06秒
- 庭野 4時間19分27秒
ゴールしても、周りには相変わらず大勢の人だかりだった。大勢の完走者とともに、参加賞を貰い、記録証を貰い、仲間の待つ集合場所に向かった。
その間、完走したことを自分に誇示し、そして動き続けた足にも感謝しているような気分だった。だから、周りの完走者の顔には、自分で自分に感服したような充実感が浮かんでいるように思えた。
バッカスの面々は、午後4時過ぎに会場を後にし、来たときと同じ経路を辿って大倉山に向かった。
感想編
小野
ランナーズの皆さん。昨日は、本当にお疲れ様でした。
全員完走!すごいですね。特に西脇さんあなたは、えらい。はっきり体形からいって一番完走できないタイプだったのに、2月3月の調整で見事シェイプ アップしたのには感服させられました。走っている人たちをみて本当にデブは、いなかった!また、今回はあまり練習をしていなかった山口さん、さすがというか普通できないっすよ。
当然の事ながら 赤羽さん・武田さん・庭野さん、この3人は問題ないと思ってました。
僕らは、8キロ地点 41キロ地点しか見ていませんでしたが、最初は、皆さん余裕をかましてました。
41キロ地点では、庭野さん、余裕そのもの。赤羽さん 顔が死んでました・・・あとから聞いたのですが、必死に行かないと「4時間半の目標タイムに届かないと思ってい たので追い込んでいた」との事。それならうなずけます。西脇さん、一番へばっていると思ったのに結構元気でびっくりでした。
武田さん、これは、ゴール前でしたが充実した顔をしてました。
山口さん、何かあったかと心配しました。でも完走する根性 見習います。
マラソンって大変ですよね。
でも皆さん今日は、充実感があるんではないですか?でも僕は、42,195キロ走りたくないです。
ただ、ちょっと魅力を感じてるのは、西脇さんのダイエット。10キロを1週間に2回で2ヶ月間、これでお腹のお肉がなくな るならちょっと挑戦してみたいです。なんにせよ皆さん本当にお疲れ様でした。僕らは、マラソン応援しながら、昼間にはビール(レイモンドの目撃情報では、昼に ビール二杯の他に焼酎1杯、しかも朝の列車でもビール、帰りの列車でも当然ビールだった。)を飲み楽しい1日を過ごさせて いただきました。レイもみほちゃんもお疲れ様でした。マラソン観戦面白かったよね!とにかく楽しい旅行でしたよ。ありがとうございました。
武田
今回の目標は、まず完走。そして5時間以内、これを達成するための戦略が、できるだけ心拍数を150以下に抑えること。結 果的には、狙い通りの結果となりました。
(数日後の感想)
38キロの表示を見て「あと4キロ」と自分を励まして頑張っているのに、しばらくすると「あと4キロ」の表示が出てくる。 その間、たかだか約200mの誤差だが、人の気持ちを弄んでいるようだった。あれはもしかすると38キロで沈んだ男の怨念 だったかも知れないと思うようになったのは、一夜明けてからだった。私のワープロの漢字変換機能は、持ち主の気持ちを良く理解しているようだ。何度、変換を試みても「簡単な完走」と表記される。しかし、これが私の言いたいことの全てだ。ずっと前から、生涯1度はフルを完走したいと思っていた。それを20番に話したら、「やるなら早くやらないと、どんどん年をとっていくからね~」と言われた。
これが始まりだった。ネットで「1時間走れれば、フルマラソンは完走できる」という本に出会う。要は、有酸素運動の状態を継続すれば、いつまで も運動し続けられる、ということ。完走は簡単だと思った。そこで、「かすみがうら」に登録した。
(その一瞬前に2番が登録したことは、大会当日の朝、スーパー日立7号の車内で分かった)
走り終わった今、間違いなく「完走は簡単」だと思う。自分が有酸素運動を継続できる心拍数を探り当てれば、100キロだっ て走ることは出来る。平井理央には負けたくない、なんて色気さえださなければ、春の霞ヶ浦を堪能しながら完走できる。春は 霞ヶ浦だけでなく、併走するランナ~の中にもそこはかとなく(時にはムンムンと)漂っていた・・・
************ 週明け初めてあった人に「解脱しましたね」と言われた5番
(でも、直ぐに還俗しましたが・・・)
山口
昨日はお疲れ様でした。みごと完走おめでとうございます。タイムもすばらしい記録です。ランナーズトークを一言。
これで最後(?)になるのか?少し寂しいですね。僕が始めてフルマラソンを走った時のエピソード含め、思い出を二つ紹介します。一つは、テレビでマラソン大会を見ていると、ゴール直後、誰か駆けつけて 、直ぐに大きなタオルでやさしく包んでくれる。皆さんも何度も見ていると思います。あれは、夢のような出来事です。現実は、一緒に行った女の子が、タオルを持って近づいてきてくれました。ここまではよかった。少し肩でも借りようかと近づくと、挙動が不振だったのか、「きゃー」と言う大声と共に、タオルを顔に投げつけられ駆け出して言ってしまいました。残った自分はゴールの周りの人の白い目にさらされ、ゴールの感動が飛びそうになりました。もう一つは、この完走と言う達成感は、今後の人生において、どんな逆境にも対応できると言う自信がつきました。(今思うと若かったからかもしれません。)大会が終わってしまって、これで終わりにしたくないと思いました。何かに繋げたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
庭野
昨日はお疲れ様でした。特に、 監督 及び鈴木さん、小野さん、 レイさんには、わざわざ応援にお越しいただき、本当にありがとうございました。42キロをただ走るという、ある意味で無味乾燥な行ないを完遂するのに、応援は本当に力になりました。38キロ地点にみんなが待っていると思って、「へたばっているわけにはいかない、いい表情で写真を撮ってもらおう」と励みにして走っていました。30キロ地点で足が痙攣してしまいましたが、リタイヤなど、とても考えられない状況でした。走ったメンバーの皆さん本当にお疲れ様でした。ふと正月に思いつき、当初は一人で参加するつもりでしたが、みんなでやれた おかげで、練習も本番もとても楽しくできました。唯一の経験者である山口さんの存在はとても大きく、頼りにさせてもらいま した。子どもが「完走証」を見て、「すごーい」と言ってくれたので、結構満足しています。
今後のことは、体の疲れが癒えてから考えるつもりです。もう少しメジャーな大会で(東京や那覇、ホノルルなど)、6時間とか7時間とかかけて、楽しく走るのも悪くないなぁ、とちょっと考えたりしています。時計やらサングラスやら、結構お 金もかけたことだし・・
- O60
- 13塩見
- 10 四元
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- 02赤羽
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- 20庭野
-
- O50
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- 44友利
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- 25森田
-
- 040
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- 48後藤
- 31栗子
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-
- U40
- 19駿介
- 69山階
-
- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村