

67 大悟は見定めた
日時:8月30日〜31日
場所:波崎合宿
参加者:
塩見 監督 飯島 武田 石川 赤羽 レイ 山口 小野 泉谷
水木 大久保 本多 庭野 西脇 千葉 宮前
自然 裕 駿介 大悟
啓子さん
今年の合宿は、波崎で実施された。
今年の10番は、腰痛が悪化した影響から合宿不参加となり、富津合宿所は今年は使えないこととなった。
前日からの雷を伴う荒天は、夜明けまで続き、全国的な規模で大雨洪水警報が発令されている中で、合宿は始まった。もちろん、武田は集合時間に3番乗りである。
初参加は本多、裕の二人、それと駿介と3人
30日 午前6時
朝6時、生協前集合。合宿場所の波崎には、2年ぶり、豪華サロンバスで向かった。
バスが菊名を過ぎたあたりだった。小野から合宿スケジュールが説明され、初日のお昼はお馴染みの「シュウマイ弁当」であることが発表され、観客からは歓声が沸き起こった時、大久保は、受け取ることを忘れていたことを思い出した。
我々には、
- • あの噂のシュウマイ弁当を断念する か、
- • 弁当を取りに引き返し、30分程度練習時間の短縮を甘受する か
の選択肢などなく、当然ながら弁当を受け取りに引き返した。
行きの車内では、小野から「一人2缶まで」という厳しいルール、本多はその意味を「一人2缶は飲むこと」と理解した。
最初に立ち寄った酒々井PA、「裕が牛丼を食べている」という噂が流れた。彼を車外に出て捜すと、牛丼を食べ終えた裕は、次に食べる予定の肉まんを手にしてバスに入った。
- 合宿にかける彼の意気込みの強さが食欲となって表出したのかも知れない
- 普段の食欲と変わりなかったのかも知れない。
私は、後者を選択する。
30日 午前10時
練習場所は、神栖市波崎にあった。
潮来インターから40〜50分の距離で、現地には10時過ぎに到着した。途中で、アントラーズの地元鹿島を通過し、また、芝のグラウンドが何面も広がる神栖市の景色を堪能した。徐々にビールではなくサッカーに集中できる雰囲気が整いつつあった。
グラウンドは、宿泊先であるホテル「梅はま」が所有する芝のフルグラウンド。到着後、小野の指導で丹念にアップをしてから練習を始めた。そして、アップ時には、若者3名が裏方に徹し、線引きに集中していた。
記録測定
11時からは、グラウンドの一部を使って、
• 「50メートル走」タイムトライアル
• 「50メートルドリブル走」のタイムトライアル走
まで実施された。(前者は、単純に中学生の体育の授業のように、全力で走るもの、後者は、コーンを6カ所においてドリブしてこれを交差しながら通過するもの。)
タイムは、重大な個人情報であるため、本当は記録を知って再挑戦を言い出す者が出ることは必至だったので、夜のバーベキューまで未公表扱いとなった。
1.50メートル走(計測 大悟 記録 啓子さん)
宮前・自然 6.91
駿介 6.94
本多 7.00
千葉 7.02
石川 7.06
西脇 7.19
そして、合宿最初の第1回紅白戦(3セット)が、午前11時から、大悟を交えた全員参加の10対11で、15分3セットで行われた。この紅白戦の組み分け根拠は不明である。
お昼は、大久保が予約した曰く付きのシュウマイ弁当。これを、芝の上でビールとともに味わうと、何人かの者は、テントの下で、合宿の恒例となった昼寝をした。
30日午後2時30分(第2回紅白戦)
午後2時30分過ぎからは、まず、出生地別で4チームが編成され、PK紅白戦が実施された
優勝:飯島チーム

準優勝:監督チーム

3位:水木チーム

4位:山口チーム

なお、
• 石川PK:バー直撃した後、ゴール外に消える
• 小野PK:バーに当たったボールが落下して西脇の肩にあたり、外に飛び出す。
小野は、第2回PK戦の実施を口にした。もちろん、石川はこれを許すはずはなかった。
午後3時過ぎ、第2回紅白戦(4セット)が開催された。
この日の波崎の天候は、前線が停滞した日本全国の天候と全く異なり、炎天下となった。我々中年は、何の躊躇もなく、猛暑の中を、既に初日に7セットこなしてしまった。
30日午後6時30分
宿泊先のホテル「梅はま」は、サロンバスで40分程度の距離にあった。この移動のバスの中でも、何人かは宴会を始めた。小野は、いつも天候とビールの冷え具合を心配していたが、千葉の用意した大型クーラーボックスは、いつも満タンだった。
ホテルは、200名の収容を可能とする合宿専用ホテルで、5名定員の8畳間5部屋に22名が分散した。後で聞くと、足の長い山口は足を押し入れに入れ、西脇の身体は細い上がり框を飛び越えていたらしい。
午後6時30分過ぎには、大久保だけでなく全員がシャワーを浴び、洗濯の始末も付けて、宿泊先ホテルの敷地内でバーベキューが始まった。その間飯島は、鉄板の側を離れず食べ続けた。そして、バーベキュー最後の焼きそばでは、小野と庭野が技と味を競った。
二次会は、若者班の部屋(駿介、裕、自然、宮前、西脇)で始まった。誰かから、クーラーが新しいとため息がでた。しかも、100円コインも必要なし。電灯のスイッチに繋がる紐がビニールじゃないと羨む声も聞こえた。でも、疲労しきった者ばかりで、二次会も長く続かない。直ぐに各部屋に分かれ消灯となった。幹部部屋(塩見、飯島、武田、石川)は、4人部屋の特別待遇だった。夜中に武田が網戸ごと窓を開け放ち、蚊が進入したことによって、スィートルームは戦場になった。
31日午前6時
2日目の朝は、7時30分の朝食前に、海に散歩に出かけた。散歩者は、広い鹿島灘と水平線の上に幾重にも重なる雲を見てサッカーができる幸福を実感していた(何人かは、幾分か、朝食前の空腹を紛らわしていた。)
グラウンドには、9時30分頃着いた。
午前11時、通算3回目となる紅白戦の組み分けは、前日の二次会の席上で発表されていたように、50メートルドリブル走の結果で分けられた。
午前11時頃から始まった紅白戦の頃には、早朝に立ちこめていた大きな雲は消え去り、前日と同じ様な日差しが蘇っていた。空の上に誰かいる、と誰かが言っていた。
この紅白戦第3戦では、大悟は、Bチーム2得点(自然と、飯島)のいずれにもアシスト役を務め、トップ下でパスを配球し中年を動かした。しかも、味方ボールでは、パスが来るのをただ待つのではなく、自ら動いて横パスのコースを作り出し、味方からパスを貰うために積極的に動いた。おまけに、水木とはグラウンド中央で大立ち回りを演じ、ユニフォームを掴まれるという名誉ある待遇も受けた。大悟は、前日のプレーの経験から、バッカスメンバーの力量と自分の役割を察知したに違いない。
31日午後2時
紅白戦終了後、宿から届けられたカレーライスと氷で冷え切ったビールで昼食を取った。ルーの極めて少ないカレーだった。気が付くと、福神漬けでご飯半分を食べきっていた。
午後2時頃グラウンドを後にした。帰途途中で、ある温泉施設に立ち寄って、風呂に入って、パンツを取り替え、その後で冷えたビールをバスの中で飲む、というのが小野の壮大なスケールの戦略だった。
昨日の練習の間に、パンツを取り替えると気分が一新することを知った小野は、ビールを飲む前にもどうしてもパンツを取り替えたかった。そこで、温泉休業を知った小野は、方針を変え、バス車中での着替えを提案した。これを見て、後部座席の13名はフォーメーションを整え、パンツを一斉に着替えた。誰かが、「またパンツを着替えたい。」と叫んで、宴会が始まった。
午後4時30分頃に大倉山に到着した。
バス横で、水木夫婦と迎えに来た栗原を囲んで記念撮影をして、12回目の合宿は、集合地で解散となった
解散後、付近ですっきりした顔を取り戻した数名はしのぶ湯に出かけ、武田が買い求めたオロナミンCで乾杯した。飯島は、ーーーで踊った
更にその中の5名は中華店にまでかけ、「篤姫」までの時間を合宿の余韻の中で過ごし、合宿の余韻を楽しんだ。
(2008.9.1)






- O60
- 13塩見
- 10 四元
- 61倉田
- 14石原
- 09飯島
- 17石川
- 02赤羽
- 15レイ
- 07山口
- 18小野
- 21泉谷
- 08水木
- 55太田
- 11大久保
- 22本多
- 20庭野
-
- O50
- 24西脇
- 49仁科
- 28小田切
- 30田口
- 39青木
- 42千葉
- 06大弓
- 36中田
- 32松田
- 26宮前
- 51浅川
- 33市川
- 29堀田
- 44友利
- 38ミキ
- 45鈴木
- 25森田
-
- 040
- 50遠藤
- 48後藤
- 31栗子
- 34森
- 16三上
- 37苅谷
- 40桝井
- 23若井田
- 35自然
-
- U40
- 19駿介
- 69山階
-
- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村