









63 2007年夏合宿
日時:8月25〜26日
場所:千葉県
参加者 32名
- • 藤田 塩見 四元 石原 加藤 飯島 武田 石川 赤羽 井村
- • レイ 山口 小野 泉谷 水木 大久保 庭野 仁科 西脇 千葉 大和 宮前
- • 堀田 初川 駿介 紀輝 駿
- • 裕紀 大悟 亮一郎 慎太郎 陸
日程
25日
- 集合時間 7時15分(いつもの場所)
- 現地集合 富津グラウンド 8時50分着
26日
- 11時40分 現地解散
- 13時〜 新横浜反省会
2007合宿を振り返る(石川記)
Bacchusが2年ぶりに、夏合宿の聖地に戻ってきた。宿舎のピンクの外壁も、ピッチ脇にそそり立つ山も、大量のぶよも、確実に2歳の齢を重ねた中年の集団を温かく迎えてくれた。
Bacchusの歴史をひも解くと、この聖地との出合いは1997年8月29日、クラブ創立の年の最初の合宿だった。以来、10年という月日は、サッカー人としての中年を確実に成長させた。10年前、芝生のピッチに感動し、興奮した彼らには、日産スタジアムや保土ヶ谷公園を経験し、芝生を冷静に観察し、批評する余裕が備わっていた。「グラウンドの計測に多少時間がかかり…」と「大倉山フットボール倶楽部Bacchusの歩み『そして中年の夏は終わった』」に記されている練習への準備においても、目分量で見事な曲線を描ける技巧の粋を発揮した(ペナルティーアークの曲線は歯列のカーブに通ずるものがあり、18番の職業的技術と勘のたまものという説もある。-*また、メジャーがもつれてしまい、4人が復旧に当たったが使用に間に合わなかったとの報告も寄せられている。
(注1) 多くのメンバーがライン引きなどグラウンド整備に忙しく動き回る中、庭野、井村親子、小野駿4名は、じっと立ったまま、絡まったメジャーを解く作業に集中していた。この4名はその時思ったに違いない。何しに、富津まで来たんだ〜!。
彼らの成長を物語る例は、ほかにも存在する。「そして中年の夏は終わった」に記載された興味深い事実から、その一つを挙げてみよう。
「練習メニューを言葉で説明されても理解できる者は少なく、その都度監督とTD山之内の手本が必ず必要となった」
(注2)現在、メンバーの練習に対する理解力は格段に向上している。今回の合宿で、監督が教師然と28番(サップ 大和 41歳 得意技:左足縛り)を出し抜けに指名し、「この練習に必要な三原則を述べよ」と問うたシーンがあった。クラスメートは誰もが「それは酷だ」と思ったに違いない。監督も後に「あいつは絶対に言えるはずがないと思った」と述懐したほどだが、そうした期待と不安が入り混じる中、-*28番(注2)は見事に正答し、万雷の拍手を浴びた。この生徒は直後の紅白試合で見事な守備を披露したが、その夜、歓喜の美酒を浴びた影響か、翌日の試合では熱中症も併発し、使い物にならなかった。
ところで、今回の合宿では、個人的にポジショニングの重要性について考えさせられた事象があったので、それについても記しておきたい
まず、昼寝の際の場所取りだ。過去に何人もの被害者を出したこともあり、「10番の風下」は絶対にタ「ブー」だ。今回もそれを知らぬBacchus初級が、昼寝時間の開始間もない立ち上がりに発せられた異音・異臭に驚きの声を挙げた。もちろん、小生はその害をあらかじめ予測していたため、風上、テレビ脇にポジションを取って、安らかな眠りに就こうとしていた。ところが、ここに新たな敵が来襲した。12時45分が近づくにつれ、闇の中を男たちが三々五々、テレビの前に移動を開始。今回の合宿でその存在が明らかになった-*「どんど晴れ 愛好会」
(注3)「どんと晴れ愛好会」を紹介しよう。会長 大久保 副会長 井村 会員 赤羽 3名だ。なお、副会長は、この日ビデオ録画済みであったが、生が一番ということで、鑑賞会に参加した。
の面々だ。メンバーたちの得意げな番組講評、画面の明滅などで、確実に睡眠時間が15分は削られる破目になった。来年の合宿に向け、また課題が増えた。
合宿からの帰路においては、マイカーのポジショニングにも気を使わねばならないことを、痛感させられた。宿舎からインターチェンジへの一車線、小生は蛇ににらまれた蛙のごとく、緊張してハンドルを握っていた。バックミラーに映るのは管内でも腕利きと誉れの高い27番(コードネームはGEX3)の車両。制限時速は40キロながら、目前にさえぎる車もない田舎道。
- • 「果たしてアクセルを踏んでもいいものか」
- • 「加速した途端、レッドカードならぬ赤色燈を取り出し、お縄頂戴」
- • 「チームメートだから許してくれるよね
- さまざまな思いが渦巻き、-*昨年12月の甲州街道における悪夢
(注4)注4:昨年12月の甲州街道における悪夢 とは、何か。
道路交通法第22条1項(最高速度違反)か、同法23条(最低速度違反か)による反則切符交付式が、朝日サッカー場からの試合帰りで挙行されたことを指している
も頭をよぎる。オフサイドを恐れて浅い守備ラインの裏側へ走ろうにも走れない、そんな心理戦、神経戦に消耗した。ようやくこの責め苦から解放されたのは料金所。ETCという文明の利器を備えた27番車が前方に躍り出て、「これで後から同じ速度でついていけばいいや」と胸をなで下ろす。と思ったのもつかの間、前方のRV車は制限速度の2倍を優に超える速さで、みるみる小さくなっていった。
「どんだけェ〜」
そして今年もまた、中年の夏は終わった。
( By Ishikwa)
「怒濤の紅白戦」(仁科記)
紅白戦の記憶 投稿者:49番 投稿日:2007/08/30(Thu) 10:38 (平日の日中、だから素面)
中年の記憶は、感情の影響をうけやすい。特に私の場合、ネガティブな心理をもたらした出来事は、海馬(脳の中で短期記憶をつかさどるところ)から大脳新皮質(長期記憶をつかさどるところ)へ送られることなく、私の記憶そして記録から抹殺される・・・・・
要するに都合の悪いことは、忘れてしまわないと中年はやってられないということなのである。
前置きが長くなったが、今年もバッカス恒例の夏季合宿が開催された。そして、初日と二日目に1回ずつ(都合2回)紅白戦は行われた。
メンバーの決定方法は、バッカス伝統の「年功序列S字蛇行並べ」により行われた。年功(生年月日)という絶対的事実に基づいた何の恣意的要因が介入できない究極の公平感と納得性を生み出す決定方法である。そのようなわけで、初日昼休みに、最近40代の仲間入りを果たしたがまだまだ人格的に軽い26番からそのメンバーが発表されたにもかかわらず、そのメンバー構成に誰一人文句をいうものはなかった。一同納得したのである。本当だ。そう、だれも「チームを決めた人は大人げない」とか「そんなにしてまで○○さんは勝ちたいのか」とか「咬ませ犬チームに本当に噛みつかれて泣くなよ」とかちょっとでも思った人は一人もいなかった。そして堀田陸は「おれの名前が呼ばれていない」という不平をもらしたかったが、父親の顔を見てその場の空気を感じ取り、黙っていた。しかし、その反抗心を「特製お子様ランチほとんど残し」という技で表したのであった。
<第一試合>藤田チームの勝ち
そして、合宿初日午後、紅白戦第一試合が、塩見チーム(白)、藤田チーム(オレンジ)、20分ハーフで行われた。ここからが私の記憶が相当程度薄れている。きっと私のチーム(白:塩見チーム)が負けたのだろう。記憶を時系列に並べることができないので、覚えていること、感じたことを箇条書きで記す。
・まず、試合終了時の挨拶、最近すっかり大人びて人格的にも素晴らしいと評判の主審:小野駿が、点数を言わずに「オレンジの勝ち〜」とだけ言った。それを言う前に(何点だったっけ?)という表情で、副審のノリ君に目配せしたが、ノリ君は(おれ知〜らね)と言わんばかりに目をそらせたように見えた。
・試合中はとにかく攻められ続けていたように思う。5点ぐらい取られたような気がした。
・私は暑さで意識が朦朧とする中で、敵のコーナーキックの際に、不謹慎にも安倍総理外遊後の自民党役員人事を考えていた。(政調会長はー石原伸晃、石原、石原、オッケー、オッケー)と考えを巡らせていたが、つい中年の習性でそれが独り言となってあらわれた「石原、石原、オッケー、オッケー」その直後、海よりも広い心をお持ちで有名なバッカス監督が、私に「覚えとけよ!」とお告げになり、大先輩を呼び捨てにしている自分に気付く。
<夜の反省会>勝ち負けはないが、塩見チームは盛り上がった
・第一試合は予想外(予想通り)の大差(予定ではもっと差がつくはずだった)がついてしまったことを受けて、心ある勝利チームの方々が、第2試合のメンバー決めの方法をいろいろ検討してくれた。奥様の年功序列・出身地、血液型など様々な案が出されたがなかなか決定的な案が決まらない。
・そんな中酔った私は、皆に提案した。「基本的にメンバーは、第一試合のままでよいので、ハンディ5点ください。」→「いいよ10点でも。」と指導的立場にある人の返事が聞こえた。(しかし実際には、中高年の巧みな言葉に丸め込まれてハンディは1点ももらえなかった。世の中こんなものである。騙され続けて本物の中年になれるのである。)
・しかし、このやり取りは、大敗で憔悴しきった塩見チームのメンバーに元気を与えた。27番、9番などを中心に、第二試合の作戦について激論を繰り広げ、いろいろな細かい戦術案が検討されたが、最終的には「走り負けないこと」「大きくけること」を確認するにとどまった。そして、最後は「気力だ。熱中症を怖がって何ができる」という結論をもって寝床についた。→大敗のストレスから、塩見チームメンバーの飲酒量は半端でなかった。この盛り上がりが翌日に影響することになる。
<第二試合>藤田チームの勝ち
- ・第二試合は、塩見チーム(オレンジ)、藤田チーム(白)、20分ハーフで行われた。
- ・第一試合同様、あまり記憶がはっきりしていない。特に後半は脳に血液がいっていないようだった。悪夢を見ていたような気がしたが、現実だったのだろう。そして、負けたのだろう。
- また、覚えていることだけ記す。
- ・全体的には第一試合に比して、駿介、ノリキ、駿などの加入があり、得点がとれた。
- ・前半は、初川の1点のみの失点で終わり、走り負けてはいなかった。そして大きなクリアも実践できた。
- ・しかし後半は、横につなぐ戦術をとりいれることを試みたが、それが相手にカットされるチャンスを与え、相手のラインが上がることにつながり、ディフェンスのバランスが崩れ、大量失点につながった。疲れからクリアも小さくなり、オフサイドトラップもかからなくなった。フィジカルで負けたのである。
- ・敵チームから「きれてきた。きれてきた。」といわれ、悔し紛れに「きれてない。きれてない。」などと長州小力のように対応したが、守り続け、裏に出たボールをダッシュで追いかけ続けると、踏ん張りがきかなくなり、確かにきれてくるものだと、改めて認識した。
- ・前の晩盛り上がりすぎた人は、「二日酔い」という名前の「熱中症」に似た症状を呈していた。お酒もサッカーも大切にしながら(というより両方やめることができず)、歳とともに体力は落ちていく。バッカスという名前のチームに入った者の宿命なのか。
塩見チームのメンバーにおいては、2敗という結果にもかかわらず、暑さの中、真剣に考え、動き、そしてチームワークを感じることのできた、充実した紅白戦だった。特に第二試合前半は、気合が入り、チームの力が前向きにまとまったという、普段の練習では感じることのできない感動を覚えた。しかし、それが後半まで続かないところがさびしいところである。
私個人としては、大脳生理の関係上、細かい記憶は失ってしまったが、これから秋にかけて、肘、膝のけがをしっかり治す。走りこみ、歩きこみを行い、持久力をつける。年功序列の意味を再確認し、最低限年長者に対しては、職名やさん付けて、呼ぶようにする。という具体的課題を与えてくれた紅白戦であった。
注
彼の独白が示唆する本当の教訓とは呼び捨ての恐怖である。
何度「石原」という仁科の呼び捨てを聞いたことか。
だから、独り言を言う癖のある選手は、注意が必要だ
しかし、試合中に「石原力監督さん、パス、パス!」と呼べば、まずグラウンド外の人間関係で問題は生じないが、パスは通るはずはない。
以上(By Nisina )
PK甲子園詳細報告(大和記)
このPK戦は、合宿前週の大綱小での練習で、27番水木が何気なく漏らした、「PKトーナメント戦」が発端となって実現したゲームだった。言い出しっぺは水木、まずこれを記憶して、その結果を見てみよう。
まず、チーム分けは、バッカスが誇る四天王毎に、あみだくじで選手が選抜された。四天王の選抜は、過去のPKの実績。
それでは、あみだくじの結果を紹介しよう。くじ運もPK戦には重大な要素である。
チーム紹介
大久保四天王チーム

四元四天王チーム

石川四天王チーム

山口四天王チーム

以上、PK甲子園報告(By Yamato )
- O60
- 13塩見
- 10 四元
- 61倉田
- 14石原
- 09飯島
- 17石川
- 02赤羽
- 15レイ
- 07山口
- 18小野
- 21泉谷
- 08水木
- 55太田
- 11大久保
- 22本多
- 20庭野
-
- O50
- 24西脇
- 49仁科
- 28小田切
- 30田口
- 39青木
- 42千葉
- 06大弓
- 36中田
- 32松田
- 26宮前
- 51浅川
- 33市川
- 29堀田
- 44友利
- 38ミキ
- 45鈴木
- 25森田
-
- 040
- 50遠藤
- 48後藤
- 31栗子
- 34森
- 16三上
- 37苅谷
- 40桝井
- 23若井田
- 35自然
-
- U40
- 19駿介
- 69山階
-
- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村