

62 TDを偲ぶ会
日時:7月28日
場所:フジビューホテル南館2階
7月28日土曜日、TDを偲ぶ会を開いた。
場所は、フジビューホテル南館2階。
バッカスメンバーの他にも、TDの古いサッカー仲間の大野さん、高橋さん、松本さん、そして会社の後輩となる藤井さんなどの来賓も参加した。
遺影には、5月3日の紅白戦に参加したTDが、クロアチア風ウェアとともに映っていた。その脇には、TDがのろまに贈った陶芸品と手紙。
献花と献杯の後で、飯島が丹精込めて制作したに表DVD芸術作品が上映された。
振り返れば、1997年の第一回合宿で、TDはデビューした。
猛暑の練習となった。我々は、サッカー指導しているTDの許可を求めることなく、給水を取るためにベンチに引き上げた。練習の途中で誰もいなくなった。TDは驚き、普通のサッカーチームのコーチのように我々を叱った。
ところが我々は、TDの怒りが理解できず、強く反論した。
多分、四元と大川だったろう。
年功序列のルールは守っています。
給水の順番は、先輩(総監督、手島)を差し置いて先に給水のために休むことはありません、それなのに、何故叱るのか!
と。
我々は、バッカスの大事なルール(年功序列)を守っていれば全て許されると思っていた。
TDは、この時、「この人達は普通ではない」ことに気が付いたはずだ。
この時以来、TDは、「(バッカスメンバーは)我が儘なんだから」を口癖とし、これを楽しんだ。
だから、我々は、TDが楽しそうな顔をするのを期待して、我が儘な練習を繰り返した。
そんなTDが急逝して、突然思いついた会だった。
飯島は、TDに喜んでもらうために最高の作品を仕上げていた。
その制作ビデオを鑑賞しながらメンバーは
•あの頃は(自分は)若かったぜ
レッツゴンのシュートはすごい!
10番は、場外にいると声がうるさいし、場内では浴びせ倒しでディフェンスだ
俺のシュートが映っていない!
などと、TDの話題から自分の話題へと話が逸れていった。
来賓やチームメイトやのコメントでは、TDの趣味の写真やプライベートな話も披露され、また多くの友情論が語られた。しかし、サッカー論議を楽しんだTDにとって一番の楽しみはサッカーの技術論であったはずだ。
ところが、チームの一番の論者石川がいないこの日の会では、技術論は盛り上がりを欠いた。そこで、この日は都合がつかず不参加となった17番から事前に寄せられていたコメントを紹介しよう。
石川のコメント:
かつて世話になった貴社の大先輩のお通夜に参列し、帰宅してホームページを見てあ然。「うそだろう」「ちょっと待ってよ」という感じです。3日の紅白戦に参加できなかったことが、いまさらのように悔やまれます。いつも最後尾にいて、守備を引き締めていた姿が脳裏に浮かびます。運動量は多くなかったのですが、いつもこちらの嫌なところにポジションを取り、相手にしたらやりづらかったことを覚えています。また、クリアの際もきちんとボールを蹴り返し、確実にピンチを逃れていました。さすがに経験者という、安定したプレーぶりで、チームの重鎮でした。そして忘れてはならないのは、彼のニックネームを冠した「TD体操」でしょう。TDはこの体操の中に生き続けるでしょう。
仁科の司会には、余計な言葉に味があり、我が儘な先輩を後ろからでもどやしつける貫禄があった。
最後にはTDの長年のチームメイトであった監督が挨拶に立った。監督は、思い出を控えめに出席者全員にお礼を述べた。
そして、ダイゴやシュンが、TDの本名が山之内博であることにこの日気付くなか、我々は、TDの本名はやはりTDであることを改めて確認して、午後9時に散会した。
- O60
- 13塩見
- 10 四元
- 61倉田
- 14石原
- 09飯島
- 17石川
- 02赤羽
- 15レイ
- 07山口
- 18小野
- 21泉谷
- 08水木
- 55太田
- 11大久保
- 22本多
- 20庭野
-
- O50
- 24西脇
- 49仁科
- 28小田切
- 30田口
- 39青木
- 42千葉
- 06大弓
- 36中田
- 32松田
- 26宮前
- 51浅川
- 33市川
- 29堀田
- 44友利
- 38ミキ
- 45鈴木
- 25森田
-
- 040
- 50遠藤
- 48後藤
- 31栗子
- 34森
- 16三上
- 37苅谷
- 40桝井
- 23若井田
- 35自然
-
- U40
- 19駿介
- 69山階
-
- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村