37 2003年夏合宿

(中年は妥協を許さない)

日時:7月26日 場所:千葉富津
参加者   35名
• 常連    総監督 塩見 10番 監督 赤羽 レイ 山口 飯塚 能勢 
• 初参加   仁科 大和 宮前 堀田 
• 古豪復活  手島
• 息子同伴  河内 武田 小野 泉谷 千葉
• 娘同伴   芝田 庭野 石橋
• 家族同伴  水木

2バッカスは7度目の合宿を開催した。

車両9台が勢揃いした。山口と石橋の車だけは、幼稚園児の送迎車両のように賑やかだった。そして、残りの7台も、中年園児の送迎車両となりこれまた賑わった。
行く途中、道を間違えたのは堀田の車だけ。9時30分過ぎ、ピンクの宿舎に全員到着できた。

初参加&

合宿前日深夜、のろまに来ていた堀田は、合宿参加を突然誘われての日帰り参加だった。
トレーナー石橋は始めての合宿参加だった。練習の最初と最後のストレッチを目的として、子供3人と共に参加した。
飯塚は、複雑な家庭内の許可申請手続に手間取った。でも、減量を合宿参加の理由に追加してぎりぎりの許諾を勝ち取ったらしい。
泉谷は、これまでの合宿で何度もブヨに愛され続けた。だから、肌を曝してストーカーを呼び込まないため、練習の間長ズボンを身につけることが家族会議で決まった。しかし泉谷は、得点を狙う紅白戦だけは左足を半ズボンにすることを提案し、ここでも承諾を勝ち取った。
仁科は、合宿初日の26日深夜、突然電話で合宿参加を打診された。仁科は、誘われたら断らないことを真骨頂にしている。そして、翌朝7時の早朝練習には、悠々と間に合い、朝食のバイキングを楽しんだ。

合宿初日

10時過ぎには練習が始まった。総監督挨拶の後、久しぶりの参加を祝い、手島先輩・河内先輩から決意表明をもらった。そして、石橋トレーナーの正規ストレッチで練習が始まる。
芝は、すこし長めで、走ると足に微妙に絡まった。
初日午前の練習は、大綱小の練習と同じメニューだった。3列から短・短・長のリズムで最後にクロスを入れシュートに持ち込むいつものやつだ。或る者は、グラウンド中央の一部だけを使って短・短・超短のリズムでボールを回し、またある者は、グラウンドを広く使って長・長・超長の波長の長いリズムを奏でていた。
初日お昼は、12時30分の予定だったが、行儀の良い参加者が多く、手を洗い、体をきれいに洗った中年は、12時過ぎにはテーブルにたどり着いていた。
昼食の配膳を待つ間の生ビールは、合宿を祝う大切な儀式だった。
食堂担当者の負担を減らすため、オーダーは10杯単位で出された。カレー用に用意されたラッキョウの皿は、カレーが出る前に空にされた。
初日午後の練習は、
午後2時30分に始まった。そして、合宿のエキストラマッチ

OVER50(オーバーフィフティ)対少年組の試合

OVER50組
総監督 手島 河内 塩見 四元 
石橋(前半)/水木(後半)
補欠 監督 アントニオ(注:数え計算のため)
少年組
シュンスケ(中2) シュン(小5) ヒロム(小4)
ソラ(小4) ユウヤ(小4) ダイゴ(小1)
補欠 堀田 宮前
観客
大声で笑っていた者     レイ 山口 飯塚 千葉
腹を抱えて笑っていた者   庭野 能勢 大和
涙を浮かべて笑っていた者  武田 水木 JK 
前半は、6人対6人の試合だった。
シュンスケを司令塔に、少年組はスピードと小刻みなドリブルを武器に攻めまくった。
OVER50組では、10番がゴール前で仲間に指示を出そうとしていた。でも、小声のため聞き取れない。ゴール前を塞ごうとして奮戦していたが、一人では勝ち目がなかった。総監督と塩見は、妥協を許さない厳しいボディチェックで勝機を得ようと考えていたが、ボディチェックに行く前に、少年組は視界から消えていた。OVER50組の難点は、前進スピードはまあまあとしても、体の反転、体の急停止、横の動き、背走全てに少年組の遅れをとっていたことだった。だから、石橋を加えた6名のチームワークの良さが、少年組のずる賢いパスカットによって消されてしまっていた。
河内親子の1対1の場面では、完全にヒロムの勝ち、なにしろ、足の長い河内が1歩走る時に、少年組は3歩走っていた。これを見ていた観客は思った。「これは、スローモーションの世界だ」
深めの芝は、少年組のドリブルのスピードを消してはいたが、それだけでなく中年の闘争心の炎まで消そうとしていた。圧倒的に少年組が優勢なまま前半が過ぎていった。1対1で中年を抜き去る少年組は、まだ誰も年功序列という言葉の意味を学校で習っていないはずだ。
前半は、0対2で少年組がリード。
監督は、前半の間心の中で何度もシャツをグラウンドに叩き付けて試合を見ていた。OVER50の劣勢に腹が立ったのではなく、「中年になって体の動きが緩慢となり、被扶養者に過ぎない少年達にもゲームであしらわれるようになる」という生物学の基本構造、ないし世の摂理に対して腹を立てていたのだった。
監督は、「少年達に容易く白旗を揚げるわけにはいかない」という決意とともに後半グラウンドに立った。
そして、芝田(:友情出演)もこれに加わると、OVER50組にもリズムが出てきた。最初は、ダイゴと生母との1対1の勝負が注目されたが、いつの間にか観客は、一人ドリブルを繰り返しては得点を入れ続ける監督に歓声を送るようになっていた。
監督への歓声は、40代後半の者にとっては何年後かにはこのピッチに立って厳しい勝負をしなければならないという悲愴な決意の現れであり、40台前半の者にとってはOVER50となってもこのピッチで監督のように駆け回りたいという願望の現れだった。40台前半は40代後半よりも、少しだけ楽観的だった。
後半になり、監督の見せる闘志によって、疲労困憊していたOVER50のメンバーにも新しい闘争心が湧いてきた。そして、逆転することができた。試合終了を知らせる小野の笛の音を聞いた少年組のメンバーは、俯き、拳を握り、そして監督を睨みつける者もいた。彼らには、悔しくて仕方のない経験をもっとたくさん積んで、早く健全な中年になって欲しいものだ。
恒例の紅白戦では、泉谷(オレンジ)、監督(緑)、宮前(緑)の得点で、2対1の緑ビブスチームの勝利となった。
その後も、なし崩し的に紅白戦は繰り広げられたが、得点者が多くいた割には印象的な得点は乏しく、負傷者だけが印象に残った。
夕飯を食べた後の二次会では、
紅白戦の余韻より、少年組に辛うじて勝ったOVER50チームの勝利を祝う乾杯が続いた。

2日目の朝は、

午前5時に始まった。
総監督が黙々とグランドに出てゆく姿をみて、千葉と赤羽が後を追った。
朝食の始まる午前8時前まで、練習をした。
朝食を食べて、また練習をした。
合宿が終わり、宿舎からの帰り際で、
車に乗り込もうとする会計の小野に、レイモンドが言った。「私、まだ支払をしていない」
そんなはずはなかった。レイは、寝ぼけ眼で、公園に集合したときにすでに支払を済ませていたはずだった。でも、レイはまだ払っていないと繰り返して、参加費を小野に渡そうとした。小野は、二度目となる参加費の支払いをレイから受け取った。

スカイラークで

レイから二重取りした参加費を懐にした小野は、これを軍資金に、大勢の仲間を引き連れてスカイラークに参集した。「冷酒とポテトフライ」を肴に、OVER50の活躍を何度もお代わりした。そして、ファミレスの冷酒の在庫が切れる頃には、来年の合宿でOVER50が活躍するプランの骨格は出来上がっていた。
少年組は、今年の夏休みの日記に、きっとこう書いたことだろう。
「来年は、OVER50に絶対勝つ」
でも、中年だって絵日記ぐらいつけることがある。
そこには、たぶんこう書いてあるはずだ。
「早くOVER50の正規メンバーになりたい」

  • O60
  • 13塩見
  • 10 四元
  • 61倉田
  • 14石原
  • 09飯島
  • 17石川
  • 02赤羽
  • 15レイ
  • 07山口
  • 18小野
  • 21泉谷
  • 08水木
  • 55太田
  • 11大久保
  • 22本多
  • 20庭野

  • O50
  • 24西脇
  • 49仁科
  • 28小田切
  • 30田口
  • 39青木
  • 42千葉
  • 06大弓
  • 36中田
  • 32松田
  • 26宮前
  • 51浅川
  • 33市川
  • 29堀田
  • 44友利
  • 38ミキ
  • 45鈴木
  • 25森田

  • 040
  • 50遠藤
  • 48後藤
  • 31栗子
  • 34森
  • 16三上
  • 37苅谷
  • 40桝井
  • 23若井田
  • 35自然

  • U40
  • 19駿介
  • 69山階

  • レジェンド
  • 総監督
  • 大川
  • TD
  • 武田
  • 大木
  • 手島
  • 藤田
  • 古村