26 怪我の顛末

日時:2001年1月7日 場所:大豆戸小
テーマ:玉始め 

2000年最後の練習で、総監督は、自損事故を起こし、持病の左膝を再度痛めた。
2000年は、総監督にとって、怪我の一年だった。

玉始めの日

総監督からの新年の訓話は、自戒を込めて、新年の挨拶が披露された 
「今年は、怪我の無い一年にしましょう。怪我だけには注意して練習しましょう」
すぐに、ミニゲームが始まった。
1月3日の練習で眼鏡を壊している10番の動きが特に目を引いた。軽快に走り、ボールタッチもスムーズだ。そして、飯島をフェイントでかわして抜き去ると、飯島が後ろから猛然と追いかけてくる。そして、10番の足下に深いタックルをかました。その瞬間、二人の身体は地面と平行になった。
その後も、10番の快調さは変わらなかった。これが不吉な前兆と考える人は誰もいなかっただろう。練習の終盤、ボールを貰った10番が、一人蹲る。なぜか原因は不明だ。10番でもあそこまで迫真の演技は出来ない。10番の負傷は明らかになり、玉始めの練習は終わりとなった。
練習後の玉始めの儀式にも10番は参加しなかった。
後で自宅にまで電話して確認すると、歩けないほどに左膝が痛む、という。
むずかる10番を説得して、小雪の降る中を、労災病院に向かった。

病院では、

手を骨折した子供、顔面を割った老人、血まみれの若者など、救急受付は賑やかだった。
サッカーの練習で膝を痛めた程度では、道を譲り続ける旅人のように、10番は静かに診察を待った。
レントゲンの結果、膝とは関係ない箇所の骨折を指摘されるハプニングもあったが、半月板損傷の診察が出て、帰宅した。

それから10番は、

練習で飯島に会うと、膝を抱えて蹲り、こう言うようになった。
「あのタックルで膝を痛めた」そして「一生恨んでやる」
その声は、少し誇らしげだ。
ついでに、「この指は武田に痛められた」とも宣言することもあった。

何度か通院したらしい。

そして3月7日には手術し、3月12日には退院できるらしい。
10日の晩に電話が来た。
「北棟の616号室」
という伝言だった。これは、勿論「早く来い」という命令と同じだ。
だから、「かりんとう」をもって、見舞いに行った

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