23 監督はパンツを忘れた
日時:2000年7月29日−30日
暑い夏が終わった。今年で4回目になる合宿の報告
スケジュール
- 7月29日
午前10時ー11時 練習
午前11時ー12時 紅白戦
午後3時ー6時 練習 - 7月30日
午前6時30分ー8時 練習
午前10時ー12時 練習
7月29日午前7時の集合予定だった。
河内は30分遅刻し置いてきぼりを食った。それでも、途中の料金所付近では、全員が河内の到着をまっていた。9時過ぎには、バッカス19名と、けんちゃん、あいちゃん、ゆきちゃんのサポーター3名は、千葉のリビエラに着いた。
初参加は、藤田、山口、本久の3名、そして殆ど初参加は飯塚
10時過ぎに、準備を終え全員が芝の上に。
この日午前の練習のみで帰宅する飯島のために、紅白戦は午前中に設定されていた。
監督はチーム分けを、肉体派をホームに、技能派をアウェーに配置した。SチームとMチームと呼ぶことにするが、総監督とのジャンケンに勝った藤田は、Mチームのユニフォームに、当然ながら出来たてのアウェー用のオレンジを選んだ。
午前11時過ぎ、バッカスを二分する紅白戦が開始された。
オレンジ色に身を固めたアウェーバッカスは、ホームバッカスの羨望の対象、芝の上には、オレンジばかりが目立ったからだ。それでも、ホームバッカスの肉体を張った必死の守りと、アウェーバッカスの中空を彷徨うシュートのせいで、前半は0対0、後半は1対1と、引き分けで試合が終了した。
紅白戦が終わると、シャワーを浴びて直ぐに昼食を取った。
総監督の号令の下、一人2杯以内の生ビールが消費された。
昼寝の時間、一人三上は、日陰の芝生を選んで寝ころんだ。
監督は、シャワー室で、着替えのパンツを忘れてきたと宣言した。
側で聞く何人かは、もともと家ですら2枚しかないことの言い訳だと感じた。でも、濡れたパンツは着替える必要があった。だから監督は、泉谷に連れられてコンビニ迄出かけていくと、オレンジ色のパンツを選んだ。午後の練習は、3時から6時まで。
練習の締めくくりは、PK戦となった。外した人を名指しすることは禁止されているので控えるが、有名人の中では、左足の彼は思いきり土を蹴り、心に染みる彼は、バーにボールを当てた。
夕食、その間中、生ビールの注文が相次ぎ35杯、瓶ビールは8本
翌日30日も快晴だった。
総監督と庶務2は午前5時7分に起床した。
6時30分から8時までの間、殆どミニゲームに終始した。中国で買ったというブルーのユニフォームは、許を一層精悍に見えさせた。そしてゲームの時、許は、誰かが真下から蹴り上げたボールを股間でトラップし損ねた。彼はピッチに倒れ唸り出すと、立ち上がることも出来ない。
でも優しい彼は、「初めてこんな経験をしました」といって、すべてを許してくれた。
朝食を取ると、9時30分から11時30分までまた練習した。
この時までに、昨日一旦帰宅したはずのTDが復帰していた。
ミニゲームの最後は、前日の肉離れの苦悩が残る泉谷のシュートで終わる。
合宿の最後は、会長の挨拶だった。淡々と健闘をたたえあう会長のお言葉は、汗の上から染み渡った。
他の人よりも早く帰宅することになった武田は、会長、総監督、監督と三者に挨拶をして仁義を尽くした。
そして、正午には全員が千葉のリビエラを後にした。
大倉山についたあとで全員で昼食を共にして家路についた。
芝の上で燃焼しきった体には、別のエネルギーが生まれていた。中年の夏は待ち遠しく、また短い。
- O60
- 13塩見
- 10 四元
- 61倉田
- 14石原
- 09飯島
- 17石川
- 02赤羽
- 15レイ
- 07山口
- 18小野
- 21泉谷
- 08水木
- 55太田
- 11大久保
- 22本多
- 20庭野
-
- O50
- 24西脇
- 49仁科
- 28小田切
- 30田口
- 39青木
- 42千葉
- 06大弓
- 36中田
- 32松田
- 26宮前
- 51浅川
- 33市川
- 29堀田
- 44友利
- 38ミキ
- 45鈴木
- 25森田
-
- 040
- 50遠藤
- 48後藤
- 31栗子
- 34森
- 16三上
- 37苅谷
- 40桝井
- 23若井田
- 35自然
-
- U40
- 19駿介
- 69山階
-
- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村