76 77 日産スタジアムMVPは飯島
(2005年8月27日)
日時:8月27日
場所:日産スタジアム
審判部長の努力と10番の幸運が、我々に日産スタジアムでの試合をもたらしてくれた。
10時から12時までの使用時間に対し、20分5セットのゲームを用意してこの日を迎えた。TDは柳川から、堀田は浜松からやってきた。
集合8時30分
施設入場 9時00分 更衣室211号室 アップルーム201号室
グラウンド入場 9時40分
記念撮影 9時40分から9時50分
この試合は、(株)日産による地域貢献の一環として、日産スタジアムが抽選で地域の倶楽部に開放された結果実現された試合、
日産万歳と心で叫んで、我々は試合に臨んだ
76 第一試合 バッカス対寛政中
バッカスA対寛政中A
主審:石原 副審:千葉・自然
バッカスA(平均年齢 44歳)
- GK 初川
- DF 四元 山口 小野
- MF 赤羽 レイ 多く後 庭野 宮前 ミキ
- FW 塩見 石川 泉谷 堀田
寛政中A(先発のみ)
- GK 玉寄
- DF 水島 杉山 戸嶋 水島
- MF 金光 春山 玉寄
- FW 武田 青木
結果
- 1対0
堀田のゴール(庶務2から、センターバックの頭上に送られた柔らかいパスは、DFが取れるかどうかギリギリの高さ。堀田はこれが頭上を越すことを見越して突進し、センターバックがどんなに身体を寄せても堀田はびくりともせずに縦に走り続けた。
そして、中央からのドリブルをしてペナルティエリアに入りこんでシュート)
評者A:堀田のあの体躯では、中学生DFでは身体を寄せられないだろう、恐ろしくて
評者B:この日唯一全速力で走った。走ればそれなりに早い、1日に1度だけど
バッカスB対寛政中B
主審:小野 副審:泉谷・堀田
バッカスB
(平均年齢 46歳)
- GK 望月
- DF TD JK 大和 自然
- MF 石原 飯島 水木 青木 飯塚
- FW 藤田 加藤 武田 千葉
寛政中A(先発のみ)
- GK 中嶋
- DF 桃原 戸嶋 林
- MF 小林 玉寄
- FW 伊藤 伊波 武田 青木 地徳
結果:1対1
加藤のロングシュートが決まる。距離にして30メートル以上はあった。
「加藤は、飛び出してきたGKを巧みに交わしその右足で思い切り蹴ると、ボールは見事なライナー軌跡を描いてネットに叩きつけられた。」
ではない。
寛政中Bは、非常に浅いラインを引いていた。その上をセンターラインを超えてパスが飛んでくると、センターライン上にいた加藤は飛び出し追いかけた。その時果敢なGKは飛び出してきた。でも、若干加藤の俊足が優り早くボールに追いつき、何らためらうこと無く(他の表現では:それ以外に他に方法は無く)加藤はやや左サイド30メートルの距離から、右足つま先でゴールに向かってボールを突っついた。
GKを交わして飛び出したボールは複雑な転がりを見せ順目の芝の上を転がり続け、滞地時間約6秒、ラインを完全に読み切ったロングパットの感触だった。
寛政中センターバックは、必死にこのボールを追いかけ、ボールはネットに届くことなく、DFの足で止められた。そして、サッカー通の我々は、線審を直ぐに探した。
そこには、ゴールラインまでタッチを駆け上がっていた副審泉谷がいた。慎重に旗を揚げると、泉谷はセンターサークルを指し示した。一番長い距離を走り、一番重要なジャッジを軽くこなした泉谷を見て、彼が本当に審判員の資格を持っていることをその時確信した。
なお、自然が、完璧なボレーを決めたが、得点は相手に入ったので経過は省略する。
77 第2試合 宮前選抜(バッカスジュニア)対サンダースOB
主審 水木 副審 飯島・山口
宮前選抜(平均年齢35歳)宮前の洗濯したフォーメーション
- GK 堀田
- DF 高藤 飯塚 千葉 大和
- MF 宮前 倉田 駿介
- FW 石川 ミキ
サンダースOB
- 吉山 柳沢 安川 吉田 平戸 藤崎 池田 山口 安藤 北村 古屋
0対1で敗戦
宮前の初采配は成功とは言えなかったが、これを機会に監督修行は始まった。
第3試合 バッカス紅白戦
FC10番(平均年齢46歳)
- GK 望月
- DF 山口 JK 大和
- MF 赤羽 高藤 水木 青木 大久保
- FW 四元 武田 石川 泉谷 千葉
バッカス代表
- GK 堀田
- DF TD 庭野 自然
- MF 石原 飯島 レイ 小野 飯塚 宮前
- FW 藤田 塩見 加藤 ミキ
2対0で、バッカス代表の勝ち
得点 自然・飯島
得点経過:省略 MVPはケイコさんによって、9番リトルウイングに決定された。
なぜ、飯島は、MVPだったか
この日には、こんな出来事があった。
1.リラックス
たとえば、石川は、この試合を迎えて、興奮のあまり家族の不審招いたらしい。サッカー経験者にとって、日本ーイラン戦のあと10日後に同じグラウンドでボールを蹴るということ、またJリーグの試合からは3日後のまだ余韻の残るグラウンドで試合をするということ、そして何よりも、ドイツの使った更衣室で着替えてからワールドカップ決勝戦のグラウンドに入るということ、これらは真のサッカー選手にとっては興奮を催すことであったらしい。
この石川は、大学生チームとの対戦を聞き、ゲームキャプテンの宮前に対し、
と、メールでFW出場を強く懇願していたらしい。
他にも、飯塚は前夜眠れず睡眠時間はせいぜい1時間、現場到着は7時30分と一番乗り。TDは柳川から往復旅費5万円をかけて会社には内緒で駆けつけ、堀田は浜松から台風を恐れずやって来た。
このようにほとんどのサッカー経験者が興奮のあまり、この日体調を崩し調子を崩すものもいた。
しかし、飯島は、たっぷり眠りたっぷり食べて体調充分だった。
2.黒服
この日の試合は、4審判を置き、主審線審とも黒服と、公式試合の雰囲気を醸し出した。この日主審をした監督・小野・水木は、日産スタジアムで笛を吹く快感を、吹いた笛のこだまを、そして景色の雄大さを我々に語ってくれた。
そんななか、飯島は、現場で3試合目の副審を言い渡され、見事にオフサイドを取りまくった(もちろん旧式のルールで)。飯島は、副審をすることによってこのスタジアムの波動に調和した。
3.経験
彼は以前このグラウンドのこけら落としで「太尾学童」代表として走った経験があった。だからこの日、スタジアムに圧倒され芝に圧倒される平均的なサッカー選手とは異なり、大綱小でマイペースのサッカーをする飯島のままだった。
これらが、飯島にガチンコ紅白戦で、見事なヘディングで、ケイコさんによりMVPに選ばれた原因だ。
我々は、試合後中華料理店で懇親会を持った。
試合後ふと姿を消した大久保を思い出して、千葉は言った。
今頃、大久保さんは、シャワーを浴びているんだろうな〜。
更に、懇親会に望月がいないことが分かり、誰かが言った。加藤かも知れない。
彼にとっては午後1時は夜更けだ。
しかし、MVPの飯島がいないことは誰も気付かなかった。
絶好調の飯島は、土産話を胸に、直ぐに家路についた。
E53
76 第一試合 寛政中戦
- 日時 2005年8月27日
- 場所 日産スタジアム
- 得点 2対1
- 得点者 堀田 加藤
77 第2試合 サンダースOB戦
- 日時 2005年8月27日
- 場所 日産スタジアム
- 得点 0対1
- 得点者 堀田 加藤
- 寛政中参加者 28名
- バッカスA(平均年齢 44歳)
GK 初川
DF 四元 山口 小野
MF 赤羽 レイ 大久保 庭野 宮前 ミキ
FW 塩見 石川 泉谷 堀田 - バッカスB(平均年齢 46歳)
GK 望月
DF TD JK 大和 自然
MF 石原 飯島 水木 青木 飯塚
FW 藤田 加藤 武田 千葉
合計28名 - サンダース戦 11名(平均年齢35歳)
- GK 堀田
DF 高藤 飯塚 千葉 大和
MF 宮前 倉田 駿介
FW 石川 ミキ
- O60
- 13塩見
- 10 四元
- 61倉田
- 14石原
- 09飯島
- 17石川
- 02赤羽
- 15レイ
- 07山口
- 18小野
- 21泉谷
- 08水木
- 55太田
- 11大久保
- 22本多
- 20庭野
-
- O50
- 24西脇
- 49仁科
- 28小田切
- 30田口
- 39青木
- 42千葉
- 06大弓
- 36中田
- 32松田
- 26宮前
- 51浅川
- 33市川
- 29堀田
- 44友利
- 38ミキ
- 45鈴木
- 25森田
-
- 040
- 50遠藤
- 48後藤
- 31栗子
- 34森
- 16三上
- 37苅谷
- 40桝井
- 23若井田
- 35自然
-
- U40
- 19駿介
- 69山階
-
- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村