24 アウェーユニフォーム誕生(2000年5月21日)

ーーー後日得点取り消しゲーム
2000年5月21日(日)午後1時20分〜3時
戸塚国際総合グラウンドにおいて、バッカスはアウェーユニフォーム(オレンジ白オレンジ)のデビューを果たした。

ゲームに初参加した本久が語る。

集合は、ニチモ前に、午前11時30分でした。
IZUさんが、大きな袋を二つ持ってきていたので、不思議だなと思っていると、そこにはオレンジー白ーオレンジのアウェーユニフォームがたくさん入っていました。この日がこのユニフォームでの初試合ということで、皆さん気合いが入っているようでした。
しかし、前日までの降雨がたたり、グラウンドがぬかると晴れ着にシミが付くので、止めようかとかなんとか誰かが言っていました。KENさんでしたか、トラップは膝と頭でやる、とか言っていましたが、体は汚してもユニフォームは汚してはならないと言うことがスポーツマンシップであることはよく分かりました。
グラウンドに着くと、ホームのユニフォームを忘れた襦袢さんは、強行突破を主張し、おまけにカメラまで買ってきました。
それぞれがニックネイムの入ったユニフォームに初めて袖を通し、記念撮影を念入りにやったような気がします。でも、どうして背中だけの撮影も入れたのか、その理由は分かりません。それに、背中に入った名前が読めない人がたくさんいるので苦労しました。
試合の内容は、実はよく覚えていないんです。
キーパーをしていた私のところには、2回シュートが飛んできたことだけ確かです。
得点は

  • 前半 コナン 3点、MIKY 1点 の4対0
  • 後半 コナン 3点 MIKY 3点 の6対0

たぶん、こんな点数だったと思います。

注意

後ろから見ていると、皆さん前の方に行ってしまったので寂しくて仕方ありませんでした。誰と世間話をしたらいいのか分かりませんでした。ショムドスさんは、キックオフの時に14回、私のすぐ近くまで来ていました。掘って襦袢さんがこれを指図していたような気がします。
得点のシーンはよく覚えていません。
ポールが何度も右から左に行ったり来たりするので、覚えておけというほうが無理な相談です。なんか、Jリーグの試合を見ているように、とぎれないでボールが動いていたことだけは確かです。最初は偶然かな、なんて思っていましたが、何度も同じシーンを見るに付けて、偶然の重なりが必然を生むんだ、なんて独り言を言ったりしていました。
エスプレッソの人たちだって、手を抜いていたわけでは無いと思います。最後まであきらめずに走っていたと思いますが、リズムに乗れなかったのは、たぶんオレンジの色が眩しすぎたせいだと思います。
試合後、きれいにオレンジのユニフォームを畳んでしまう人を見ました。試合に勝ったことよりも、このオレンジのユニフォームを着れたことの方がきっと大切なことだったんでしょう。

  

さて、少し運動不足なので、試合後ですがこれから太尾新道を10キロ走ってきます。

24 エスプレッソ戦 

  • 日時       2000年5月21日
  • 場所       戸塚
  • 得点       13対0
  • 得点者      (石川6 ミキ4 監督 飯塚 レイ)
  •                            得点は、後日取り消し(GK総監督のため)
  • 参加者      14名
  • 本久、総監督、飯塚、高藤
    四元、監督、飯島、石川、赤羽、山口、ミキ、レイ、大久保、泉谷
  • O60
  • 13塩見
  • 10 四元
  • 61倉田
  • 14石原
  • 09飯島
  • 17石川
  • 02赤羽
  • 15レイ
  • 07山口
  • 18小野
  • 21泉谷
  • 08水木
  • 55太田
  • 11大久保
  • 22本多
  • 20庭野

  • O50
  • 24西脇
  • 49仁科
  • 28小田切
  • 30田口
  • 39青木
  • 42千葉
  • 06大弓
  • 36中田
  • 32松田
  • 26宮前
  • 51浅川
  • 33市川
  • 29堀田
  • 44友利
  • 38ミキ
  • 45鈴木
  • 25森田

  • 040
  • 50遠藤
  • 48後藤
  • 31栗子
  • 34森
  • 16三上
  • 37苅谷
  • 40桝井
  • 23若井田
  • 35自然

  • U40
  • 19駿介
  • 69山階

  • レジェンド
  • 総監督
  • 大川
  • TD
  • 武田
  • 大木
  • 手島
  • 藤田
  • 古村