22 23 水道局連戦
2000年3月11日(土曜)午前10時〜午後2時
水道局の芝生の上で、中年は2試合もやってしまった。
観客 総監督・庶務2・駿
思い起こせば、3年近く前に、バッカスが芝生のグラウンドで国際初試合を行い黒星でデビューしたときの対戦相手が、この水道局チーム。参加者の確保が危ぶまれ、Jリーグ開幕と日を同じくして観客動員にも不安があった。
しかし、無事上記の通り選手13名、観客3名となり、試合は10時にキックオフされた。
第1試合(対水道局)
前半 30分間 0対5
TDの戦術は、すべて一旦ミキにゴールを集めること、これに尽きた。しかし、指示をシンプルにしたために、却って混乱を呼んだ。
指示を受けない中年はなにをしたらよいか分からない。
しかし、指示をうけてもよくわからない。その例が、武田だ。
ボランチのコールを受けた5番武田は、張り切って「これがやってみたかった」と勢いづいた。しかし、その日の定例会で、5番はボランチを「ブランチ」と間違えていたことが判明した。誰かが「ドイスボランチ」とはドイツのボランチだ、と叫んだ。すべて手遅れだった。
ハーフタイムのベンチでは、黒雲が漂い、10番は「早く帰ろう」と言い出していた。
第一試合 後半 30分 1対1(得点 ミキ)
赤羽が、ノートを片手にTDに口を出した。
「ボランチは、山口と飯島の2枚でどうでしょうか」
TDは、どうにでもなれ、という感じでこれを了承した。
しかし、飯島がFWに出かけて帰宅せず、山口と大木はDFラインに里帰りして家にこもり、ボランチの中盤はがら空きとなった。
あとで、この日飯島のボランチは、21世紀に向けた新ボランチのアイデアを表現したものだった
:攻めているときは、見方DFの前に隠れ
:攻められているときは、一人FWで待ち尽くす
このセットでは、大川ワントップ、というかつてない戦術も採られた。しかし、大川はその癖でDFラインに迄戻ったり、今度は相手DFを追いかけたり。
という状態となり、相手に相当な動揺を与えた。
得点は、大川がワントップの位置から消えたスペースにミキが入り込みドリブルシュート。大川の貢献があった。
第2試合 (対富士通戦)
前半 30分間 2対2(得点 39番・ミキ)
TDは、得点パターンをシュミレーションして、加藤のワントップとミキのアシストにかけることした。そして、ボランチを2枚にして、中盤を厚くする戦術に出た。
後半 30分 2対0(得点 ミキ、ミキ)
バッカスは何も変わっていなかった。相手が変わっていたのだ。キーパーまで足をつる始末で、相手は完全に疲労困憊し、バッカスは最初から最後までずーっと疲れていたのでなにも変わらなかった。少ない人でも90分、ほとんどの人が120分を芝の上に立った。
ベンチに腰を下ろしたTDはため息をつく。やっと、2敗は免れたそう思った。
大久保は午後2時に、泉谷の携帯電話に電話して、試合結果を聞いた。
TDは、知っていた。日の試合を酒の肴にしようと待ち構えているやつがいることを。
この日の酒の肴は、飯島のボランチ、そして、武田のブランチだった。
22 水道局戦
- 日時 2000年3月11日
- 場所 水道局
- 得点 1対6
- 得点者 ミキ
23 富士通戦
- 日時 2000年3月11日
- 場所 水道局
- 得点 4対2
- 得点者 ミキ3 加藤
-
- 参加者 13名
- 大木、藤田、加藤、TD 大川、許、武田
四元、飯島、山口、ミキ、レイ、泉谷
- O60
- 13塩見
- 10 四元
- 61倉田
- 14石原
- 09飯島
- 17石川
- 02赤羽
- 15レイ
- 07山口
- 18小野
- 21泉谷
- 08水木
- 55太田
- 11大久保
- 22本多
- 20庭野
-
- O50
- 24西脇
- 49仁科
- 28小田切
- 30田口
- 39青木
- 42千葉
- 06大弓
- 36中田
- 32松田
- 26宮前
- 51浅川
- 33市川
- 29堀田
- 44友利
- 38ミキ
- 45鈴木
- 25森田
-
- 040
- 50遠藤
- 48後藤
- 31栗子
- 34森
- 16三上
- 37苅谷
- 40桝井
- 23若井田
- 35自然
-
- U40
- 19駿介
- 69山階
-
- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村