5 武田の感動とは何か(1998年10月3日)
10月3日午前10時30分、彼にとって再度の挑戦の日がやってきた。
前回の7月18日の試合では、監督のフォワード指名に対し、試合開始5分で体調不良による交代となり、その期待に応えられなかったからだ。
この試合の対戦相手は、FC多摩という県シニアリーグ2部所属の強豪チーム。おまけに、人数の少ない相手チームのためにバッカスからは監督・柳・山之内等が相手チームに短期レンタルされ、バッカスにとっては、これ以上ない手強い相手となった。
この日の試合は急に決まったため、事前の選手登録では、11名集まるかどうか危ぶまれた。しかし、試合の始まる午前10時30分には、17名もの選手が集まっていた。
尚、監督は、これまで長期間の休養の為選手の顔を忘れかけており、急遽この日の指揮はTD山之内が取ることになった。
第一セット
選手の名前がTD山之内から呼び上げられた。厳粛な雰囲気のなか、少しづつメンバーが決まっていった。しかし、そこに彼の名前はなかった。大久保・レイというバッカスの2枚看板がフォワードに指名された。
山之内は、彼の闘志を燃え上がらせることに監督生命を賭けた。そして、試合は開始された。勿論、古村コーチは左ハーフに位置し、合宿以来のユニフォームの感触を堪能した。時々笑みがこぼれた。そして、フォーメーションを守って省エネを心掛ける相手チームと異なり、バッカスイレブンは、短すぎる20分間を駆け回ることに専念した。
第二セット
この日のグラウンドの確保に奔走した会長は、久しぶりにその勇姿を選手に示し、チームを鼓舞した。そして、背番号5の彼もまた、満を持してピッチに立った。希望するフォワードとは異なるハーフの位置だ。でも彼へ思うようにボールは集まらなかった。
第三セット
大久保・レイのフォワードは何度もシュートをはずした。相手チームには、10番がセンターバックとしてレンタルされていたせいもあって若手の大久保らは萎縮していた。そうして時間が半ばを過ぎようとしたとき、バッカスの神は、新しいシナリオの頁をめくった。
左から攻め上がった大久保は、それまでの憂さを晴らすかのような正確なセンターリングを中央に送ると、キーパーに対峙しているのは、ご存じ「ボレーのレイ」だ。しかし、レイは突然のひらめきでそれをスルーすると、背後にはハーフの位置からは攻め上がった彼がいた。
彼は、何も考えずに右足を前方に投げ出した。そして、その右足に強く接触したボールは、彼の意思の僕となりネットに向かった。感動は、大きな歓声となってピッチに溢れた。彼も、大きな雄叫びを上げて拳を握った。それはベンチにも感動を喚んだ。
彼は、その日の夜
バッカスとは別の神から子守を言い渡された。しかし、どうしても子守を一時中断してでも学童に出かけたくなった。指導員にゴールの報告を行うためだった。
出かけてゆくと、たまたま学童に居合わせた別称「大倉山の綺麗どころ」と言われている人妻多数と喜びを分かち合うことまで果たした。この日彼は、世界一幸福な男となった。
ある人が言った。感動とは、予期しない不意の出来事の別称だと。
彼は思ったに違いない。俺のゴールに必要なのは、この「感動」ではなく、期待を実現した者だけに送られる「賞賛」だ。そして、感動のゴールの積み重ねこそが「賞賛」のゴールを生んでゆくのだと。
彼のフォワード人生は、こうしてこの日始まる。
5 FC多摩戦
- 日時 1998年10月3日
- 場所 NEC
- 得点 1対2
- 得点者 武田
- 参加者 17名
- 大木、総監督、古村、大川、TD、武田、許、柳、四元、監督、飯島、石川、赤羽、レイ、大久保、庭野、三上
- O60
- 13塩見
- 10 四元
- 61倉田
- 14石原
- 09飯島
- 17石川
- 02赤羽
- 15レイ
- 07山口
- 18小野
- 21泉谷
- 08水木
- 55太田
- 11大久保
- 22本多
- 20庭野
-
- O50
- 24西脇
- 49仁科
- 28小田切
- 30田口
- 39青木
- 42千葉
- 06大弓
- 36中田
- 32松田
- 26宮前
- 51浅川
- 33市川
- 29堀田
- 44友利
- 38ミキ
- 45鈴木
- 25森田
-
- 040
- 50遠藤
- 48後藤
- 31栗子
- 34森
- 16三上
- 37苅谷
- 40桝井
- 23若井田
- 35自然
-
- U40
- 19駿介
- 69山階
-
- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村