4 エスプレッソカフェ戦のはじまり(1998年7月18日)
試合開始は9時の予定だったので、選手は集合までに食器洗いと洗濯をする時間は有ったはずだ。
それでも庭野は遅刻し、監督は食器洗いを娘に替わってもらった。
相手チームは平均年齢が30歳を下回る好青年の集まりだった。経験者が3名もいる。しかも美形の女性サポーターが2名もいた。他方でバッカスは、30歳以下は柳一人の平均年齢40・5歳。しかし、みんなにユニフォームがあり、サッカーシューズもあり、ポジションだってあった。
1 30分3セットの変則ルールで試合は始まった。第一セットは、柳、監督、監督、柳が得点し、4対0と波乱も無く終わってしまった。髭の菊池は何もせず、レッツゴー武田は、睡眠不足のため5分で交代し、グラウンドの外で寝ていた。この試合にフォワードの柱として指定された武田であったが、趣味の仕事に負担がかかり調整に課題を残した。
2 第二セット。課題は、武田に替わるフォワードの柱を見つけることだった。相次ぐシュートミスにバックスは切れかかり、四元は怒鳴りまくり、両サイドはオーバーラップを続け、ご存じ庭野が得点した。そして、いつの間にか山之内も得点し、完全にフォワードの柱はバックスとなった。その勝因は、四元の怒声が、紳士としか交際の無い相手チームを萎縮させ足を止めたからだ。だから第二セットも5対0と波乱も無く終わった。終わった後で、飯島は自分がハットトリックをしていることに気づいた。
3 第三セットには、武田が復帰し、左サイドでは庭野、許、泉谷、大久保が集団で行動をとった。許には何度もボールがわたり、その俊足が左サイドを切り開いた。さらに、審判をする山之内に替わって柳がバックスに入ったが、守備を柳一人に任せた四元は、庭野に続けとばかりに前進を続け、2本もシュートを打った。奥さん本当です。
勿論、大久保は、左サイドからセンターリングを繰り返し、サッカーには中盤があることを相手チームの胸に刻印し、この第三セットで 軽く 2得点を決めた。
そして、泉谷に記録が生まれた。
武田とレイは相手バックスと闘争を繰り返し、彼らを疲労のどん底に追いやっていたが、この隙間をオーバーラップした赤羽が抜け出した。そしてすぐに軽くセンターリングしたボールはキーパーの頭上を越え、泉谷の頭上迄来ると急にゴールネットに方向を変えた。これがヘディングシュートというやつだ。すぐに泉谷は、家で待つ子供のために初得点の証拠を探し、泉谷の後ろで待ちかまえていた四元は、家で待ち構える内儀へ初得点を逃した言い訳を考えた。
3セットを通じて、左右のハーフに位置したレイと許の運動量は増大したが、久しぶりの試合に参加する興奮からか、最後まで二人の足は止まらなかった。レイは、赤羽と目が合うだけで体が動いた。これは、ワイフの視線だけで皿洗いをしてしまうように、日頃の鍛錬の賜かも知れない。
試合後のアップ
総監督は、試合後一人でシュート練習を繰り返していた。GKとしてロングシュートが自分に科せられた役割であると自覚しているかのように。
バックスで得点した庭野は、サイドバックへの転身を何度も監督に語りかけたが、バッカスの年功序列によれば大川の許諾が不可欠であり、到底叶わぬ夢だった。
3点を入れた飯島は、ハットトリックが懇親会の参加費を3倍にすることを知らなかった。
これを知っていた監督、柳、大久保は、当然2点で自重した。
頭の中で思い返すシュートシーンは参加者の共有した快感となった。
4 エスカフェ戦
- 日時 1998年7月18日
- 場所 戸塚
- 得点 12対0
- 得点者 飯島3,監督2、大久保2,柳2、庭野、TD,泉谷
- 参加者 15名
- 平均年齢 40.5歳
- 総監督、大川、四元、監督、TD、飯島、武田、赤羽、レイ、泉谷、庭野、自然、大久保、柳、許
- O60
- 13塩見
- 10 四元
- 61倉田
- 14石原
- 09飯島
- 17石川
- 02赤羽
- 15レイ
- 07山口
- 18小野
- 21泉谷
- 08水木
- 55太田
- 11大久保
- 22本多
- 20庭野
-
- O50
- 24西脇
- 49仁科
- 28小田切
- 30田口
- 39青木
- 42千葉
- 06大弓
- 36中田
- 32松田
- 26宮前
- 51浅川
- 33市川
- 29堀田
- 44友利
- 38ミキ
- 45鈴木
- 25森田
-
- 040
- 50遠藤
- 48後藤
- 31栗子
- 34森
- 16三上
- 37苅谷
- 40桝井
- 23若井田
- 35自然
-
- U40
- 19駿介
- 69山階
-
- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村