2 親父(吉岡)の試合参加(1997年12月14日)
第一試合:相模原四十雀戦
試合開始前
前日の保護者会はホスト手島の手腕により無事盛況の内に終了し、解き放たれた中年13名青少年2名は、14日朝7時学童に集合し、三菱重工グラウンドのある相模原に車5台で向かった
この日の初参加は、吉岡(親父)、四元、許の3名
我々は、9時近くに会場に着き、手慣れた仕草でアップを始めたが、バッカスの蹴るボールの軌跡は、他のチームと比べ、明らかにボールの軌跡が乱雑を極だった。
試合開始10時から。
相手チームは、その平均年齢がバッカスを遥かに凌駕している相模原四十雀。試合開始間もなく、左からきたボールに右足のアウトサイドをボレーで合わせた「レイモンド」の華麗なボールが決り、バッカスに入って本当に良かった。
しかし、相手チームのは頭と手を使うサッカーで直ぐに2点を奪っていった。いつもは外野で叫び続けている四元がピッチに立っているせいで静寂がベンチを支配し、前半は1対2で終わる。
後半開始に、大川と飯島が加わったが、飯島の縦走や大川のオーバーラップも無く、大政も負傷して、得点は0対0で終了していた。
第一試合で出場していない親父は、コンロでコーヒーを沸かし、一人キャンプをしていた。
第二試合目:上溝イレブン(親父出場)
試合開始午後1時
2試合目となり、その前半、親父は右のフォワードで初登場した。
右のラインは、親父・許・赤羽のライン。左のラインは、勿論大久保・石川・大川の黄金トリオで、中盤は山之内、監督、大政、裕太が作った。この前半の流れは、まさに晴天の中の学童キャンプのようなもので、何をやってもうまく行く気がした。相手チームも、キャンプをしに来ただけの親父をグラウンドに放っておいたので、親父は何度と無くボールに接触することができ、会場は「親父行け」コールで溢れかえった。そして、右のラインの喧噪とは対称的な左側にいた石川による立て続けのドリブル突破の3点で、前半は3対0。
後半も親父は依然ピッチに立っていた。相手チームに得点が加算していっても、親父は、相手ディフェンダーと会話を弾ませている。「なぜ俺がチーム内でも親父と呼ばれるか」という禅問答だったはずだ。親父がグラウンドで会話を楽しんでいる間に、3点目4点目も相手チームに入り、逆転された。
ここでやっと監督も腰を上げ、グラウンドの人気者の親父を飯島に交代した。試合終了30秒前には、ゴール前の混戦でまたもや石川がヘッドを決め、同点に追いついた。
ペナルティキック合戦
GKの総監督は、胸部負傷を隠しながら相手を威嚇してミスを誘い、石川・大政・山之内全員が点を入れ決着を付けた。
そのあとの親父(吉岡)の振る舞い
第二試合の終盤には、他チームのメンバーからも、「楽しそうにサッカーをしていますね」と声を掛けられた。親父がいたからだ。
親父は、試合が終わった後に、今度は黙々とスープを作り、4名の年少のサポーターにこれを振る舞い、残りをメンバーにも御馳走した。
初冬のグラウンドで、親父は、ただ、アウトドアスポーツを満喫していただけだった。
2 相模原四十雀戦
- 日時 1997年12月14日
- 場所 三菱グラウンド
- 得点 1対2
- 得点者 レイ
3 上溝イレブン戦
- 日時 1997年12月14日
- 場所 三菱グラウンド
- 得点 4対4(PK戦 勝利)
- 得点者 石川4
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- 参加者 15名
- 吉岡、総監督、大川、四元、監督、TD、飯島、石川、赤羽、レイ
- 泉谷、大久保、大政、小政、許
- O60
- 13塩見
- 10 四元
- 61倉田
- 14石原
- 09飯島
- 17石川
- 02赤羽
- 15レイ
- 07山口
- 18小野
- 21泉谷
- 08水木
- 55太田
- 11大久保
- 22本多
- 20庭野
-
- O50
- 24西脇
- 49仁科
- 28小田切
- 30田口
- 39青木
- 42千葉
- 06大弓
- 36中田
- 32松田
- 26宮前
- 51浅川
- 33市川
- 29堀田
- 44友利
- 38ミキ
- 45鈴木
- 25森田
-
- 040
- 50遠藤
- 48後藤
- 31栗子
- 34森
- 16三上
- 37苅谷
- 40桝井
- 23若井田
- 35自然
-
- U40
- 19駿介
- 69山階
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- レジェンド
- 総監督
- 大川
- TD
- 武田
- 大木
- 手島
- 藤田
- 古村